はなの手話
2007年 01月 10日
はなは、自分の要求を「手話」で伝えようとするときがあります。
もちろん、実際の手話のように高度なものではなく、ただ手を上げ下げするだけです。
おそらく「お手」の進化系。
それでも、何か要求があるらしいということだけは伝わります。
だいたいの場合、こちらがはなに注目せずほかのことに集中しているときに行われます。
おもむろにわれわれの前にオスワリし、こちらを真剣な表情でジッと見ながら、手をせわしなく上下しはじめます。
左右の手を取っ替え引っ替え、「お手」!「お手」!「お手」!の連続です。
見ようによっては、シュッシュッシュッ!と、シャドウボクシングを繰り出しているようにも見えます。
最初は意味が分からなかったのですが、その表情と醸し出される空気から、「(何かを)やれ!やれ!」と、要求をぶつけられているのだ、と分かるようになりました。
解読するカギはただひとつ。
「空気を読む」ことだけ。
「うーん?『ボール』か?」「『ゴハン』か?」と、はなが理解できる単語を口にしてみます。
正解の場合は尻尾フリフリでおしえてくれます。
不正解の場合はただ仏頂面がかえってくるのみ。
流れる気まずい空気。
べつにコチラが悪いことをしたわけではないのに、「ゴメン・・・」というキモチにさせられます。
くそっ!なんかムカついてきた!
アメリカにいる、ゴリラだかオランウータンだかは、本当に手話でヒトと会話ができる、という話を聞いたことがあります。
巧みに手話を操り、食べたい物から、その日の気分まで、様々なコミュニケーションをとることができるようです。
さすがは霊長類。
一方、わが家の雑種犬はな。
「手を使って何かをする」という発想までは評価できますが、そのコミュニケーションが成立するための絶対条件として、「相手(=われわれ夫婦)の気遣いが不可欠」としているあたりに、異様な傲慢さを感じます。
ゴリラやオランウータンは、手話を用いるにあたり、ちゃんと相手(=ヒト)が理解できる手話を学習、体得する、という「努力」を行っているのに、はなの手話は完全な自己流(流行りの「オレ流」か?)。
はななりのパターン(たとえば「ゴハン」のときは「右→右→左」とか)があるのかもしれませんが、そんなの、無論、われわれの知ったこちゃありません。
なのに、「お前らがコレを覚えて理解しろよ!」という無言の圧力を感じるのです。
うーん。ナメられている・・・。
そうまで不愉快な思いをさせられるのなら、はなの手話なんか無視すればいいのですが、ひとたびシュッシュッシュッ!と始められると、ついつい、「ハイハイ。何かな~?」と御用聞きをしてしまうのです。
完全に犬の下僕と化しているワタシ。
むなしく悔しいのに、通じた瞬間にちょっとヨロコビを感じてしまいます。
仕方がないので、もう潔くあきらめて、シュッシュッシュッ!ときたら素早く「空気が読める」よう、「努力」していきたいと思います。
もちろん、実際の手話のように高度なものではなく、ただ手を上げ下げするだけです。
おそらく「お手」の進化系。
それでも、何か要求があるらしいということだけは伝わります。
だいたいの場合、こちらがはなに注目せずほかのことに集中しているときに行われます。
おもむろにわれわれの前にオスワリし、こちらを真剣な表情でジッと見ながら、手をせわしなく上下しはじめます。
左右の手を取っ替え引っ替え、「お手」!「お手」!「お手」!の連続です。
見ようによっては、シュッシュッシュッ!と、シャドウボクシングを繰り出しているようにも見えます。
最初は意味が分からなかったのですが、その表情と醸し出される空気から、「(何かを)やれ!やれ!」と、要求をぶつけられているのだ、と分かるようになりました。
解読するカギはただひとつ。
「空気を読む」ことだけ。
「うーん?『ボール』か?」「『ゴハン』か?」と、はなが理解できる単語を口にしてみます。
正解の場合は尻尾フリフリでおしえてくれます。
不正解の場合はただ仏頂面がかえってくるのみ。
流れる気まずい空気。
べつにコチラが悪いことをしたわけではないのに、「ゴメン・・・」というキモチにさせられます。
くそっ!なんかムカついてきた!
アメリカにいる、ゴリラだかオランウータンだかは、本当に手話でヒトと会話ができる、という話を聞いたことがあります。
巧みに手話を操り、食べたい物から、その日の気分まで、様々なコミュニケーションをとることができるようです。
さすがは霊長類。
一方、わが家の雑種犬はな。
「手を使って何かをする」という発想までは評価できますが、そのコミュニケーションが成立するための絶対条件として、「相手(=われわれ夫婦)の気遣いが不可欠」としているあたりに、異様な傲慢さを感じます。
ゴリラやオランウータンは、手話を用いるにあたり、ちゃんと相手(=ヒト)が理解できる手話を学習、体得する、という「努力」を行っているのに、はなの手話は完全な自己流(流行りの「オレ流」か?)。
はななりのパターン(たとえば「ゴハン」のときは「右→右→左」とか)があるのかもしれませんが、そんなの、無論、われわれの知ったこちゃありません。
なのに、「お前らがコレを覚えて理解しろよ!」という無言の圧力を感じるのです。
うーん。ナメられている・・・。
そうまで不愉快な思いをさせられるのなら、はなの手話なんか無視すればいいのですが、ひとたびシュッシュッシュッ!と始められると、ついつい、「ハイハイ。何かな~?」と御用聞きをしてしまうのです。
完全に犬の下僕と化しているワタシ。
むなしく悔しいのに、通じた瞬間にちょっとヨロコビを感じてしまいます。
仕方がないので、もう潔くあきらめて、シュッシュッシュッ!ときたら素早く「空気が読める」よう、「努力」していきたいと思います。
by mayayan215
| 2007-01-10 16:51
| ワンコ